RCC被爆70年プロジェクト 「未来へ」

RCCテレビ

RCC被爆70年プロジェクト 「未来へ」
2015年4月19日 深夜0:50~ 原子野からの息吹
2015年5月31日 深夜1:00~ 被爆特攻兵 ニューヨークへ
2015年6月28日 深夜0:50~ 10Wk ~隠された不戦巨艦の爆沈~
2015年7月26日 深夜1:05~ 母子草の花 ~原爆小頭症患者 母と子の70年~

【第4回】7月26日(日曜日) 深夜1:05~

未来へ 「母子草の花 ~原爆小頭症患者 母と子の70年~」

子は母親の胎内で原爆の放射線を浴びました。知能と体に障害を負って生まれた原爆小頭症患者でした。差別や偏見の中、母は、たった一人で子を守り続けました。しかし、その母も去年、無念の思いを残しながら、この世を去りました。都会の片隅で身寄りもなく、ひとりぼっちで暮らす子。原爆で理不尽にも苦難の人生を強いられた、母と子の70年をたどります。

  • 誕生会
    ▲誕生会
  • 文鳥と患者
    ▲文鳥と患者

【第3回】6月28日(日曜日) 深夜0:50~

未来へ 「10Wk ~隠された不戦巨艦の爆沈~」

広島湾に浮かぶ小さな島の沖、海図に「10Wk」との記号が記されている。水深10.4m付近にWk=Wreck(沈船)の存在を示すものだ。長さ120メートル、幅30メートル。その正体は1943年に謎の爆発事故を起こして沈没した戦艦「陸奥」。
当時、連合艦体の旗艦も務め、1121人が犠牲となった大惨事にも関わらず、国民の士気低下につながるとして当時その情報は極秘とされた。遺族に届いた軍からの通知は「戦死」。
遺族には正確な情報が伝えられることはなく、犠牲者はひっそりと荼毘に付された。終戦後、真実が徐々に明らかになり、1970年代に艦体の3分の2が引き上げられた。当時は一時的に大きく取り上げられたが、以降ほとんどこの話に注目が集まる事はなかった。
戦後70年、沈没海域がダイビングスポットになったり、「陸奥」がゲームのキャラクターになったりし、関心を持つ人が増えている。番組では当時の乗組員や目撃者などを取材し、爆沈の事実を丹念に探るとともに、真実を知らされることなく家族の死を受け入れざるを得なかった遺族の思いを伝える。
今なお広島湾に眠る巨艦が私たちに問いかけるものとは?

  • 引き揚げられた「陸奥」の主砲
    ▲引き揚げられた「陸奥」の主砲
  • 犠牲者が荼毘に付された続島
    ▲犠牲者が荼毘に付された続島
  • 現在も広島湾に眠る戦艦「陸奥」
    ▲現在も広島湾に眠る戦艦「陸奥」
  • 生存者 篠原喜一さん
    ▲生存者 篠原喜一さん
  • 戦艦「陸奥」の甲板で撮影された記念写真
    ▲戦艦「陸奥」の甲板で撮影された記念写真

【第2回】5月31日(日曜日) 深夜1:00~

「未来へ」~被爆特攻兵 ニューヨークへ~

今年4月、ニューヨークに年老いた男性が降り立った。
核軍縮を協議するNPT再検討会議の会場で、自らの被爆体験を伝えるためだ。
男性は87歳。
体調を気遣う家族の心配を振り払っての決意の渡米であった。男性にとって戦争の記憶は被爆にとどまらない。大戦末期、ベニヤ板製のボートで敵艦に突っ込む水上特攻兵の生き残りだったのだ。
核兵器の恐ろしさ、そして戦争の残酷さを世界の人々に直接伝えたい…。男性の思いはどう受け止められたのか。

  • ニューヨーク市内を行進する男性
    ▲ニューヨーク市内を行進する男性
  • 国連本部で被爆証言する男性
    ▲国連本部で被爆証言する男性
  • 男性が自費出版した本
    ▲男性が自費出版した本

【第1回】4月19日(日曜日) 深夜0:50~

「未来へ」~原子野からの息吹~

ヒロシマ“奇跡の復興”の記録

1945年8月6日、広島は1発の原子爆弾で焦土と化しました。
「70年は草木も生えない」と言われ、街の移転さえ議論されました。
しかし人々は懸命に生き抜き、ふるさとを再建、発展させました。

あれから70年。
被爆直後からの歩みを当事者に聞く“最後の機会”です。
焼け残りの瓦と廃材でバラックを建てた市民、
被爆3日後に電車を走らせた女学生、
闇市の干し柿販売で生き抜いた復員兵。
生の証言でつづるヒロシマ復興の記録です。

  • 被爆直後の電車運行を振り返る元女学生
    ▲被爆直後の電車運行を振り返る元女学生